大判例

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東京高等裁判所 昭和51年(ラ)732号 決定

抗告人(申請人)

原一

外三二六名

右代理人

渡辺真次

外四名

相手方(被申請人)

千葉市

右代表者

荒木和成

右代理人

堀家嘉郎

主文

本件各抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人らの負担とする。

理由

抗告代理人は「原決定を取消す。相手方は原決定添付物件目録記載の土地にごみ処理施設を建設し同所にごみを搬入し投棄してはならない。訴訟費用は第一、二審とも相手方の負担とする。」との裁判を求めた。

本件は、記録によつて明らかなように、相手方(被申請人)が、千葉市内から排出されるごみ処理の行政責任を負う者として、原決定添付物件目録記載の土地に、谷間(くぼ地)の地形を利用してごみ処理施設を建設し、主にごみの焼却残灰と不燃性廃棄物とを同所に埋め立て処分するごみ処理計画を立てたのに対し、抗告人らを含む周辺住民計四四三名において、本件ごみ処理計画が実施されると、(一)埋立てごみから流出する汚水が地下に侵透し同人らの飲料水である右予定地周辺からの湧出地下水を汚染する、(二)有害虫、野犬の増加、臭気、有毒ガス、粉じん、搬入時の騒音等による精神的肉体的な被害の虞があり、また自然環境が破壊される、などと主張し、人格権および環境権に基づいて本件ごみ処理施設建設の差止めを求めるとして、本件仮処分の申請に及んだところ、原審は、審尋を経て右仮処分申請を却下する決定(原決定)をしたが、その理由の骨子とするところは次のようなものである。すなわち、(一)本件施設の建設予定地は、南北に長い谷間(くぼ地)で南から北へ緩やかに下る傾斜地であり、地下約二五メートルないし三〇メートルのところに厚さ約一五メートルの粘土層があり、それが不透水層となつて地下水を上部、下部の両帯水層に二分しており、上部帯水層中の地下水の流動方向は、ほぼ南から北へ、すなわち谷部へと向つているところ、本件施設は、右予定地の底面に存する腐植土による軟弱層部分を撤去して砂、砕石を敷く等の地盤改良を施したうえ、底面および両側傾斜面の全面にわたり遮水用のゴムシートを被覆し、汚水管等を整備し、汚水処理場を附設するもので、ごみの埋立は高位置の南側半分に不燃性粗大ごみを、低位置の北側半分に焼却残灰等の有機性ごみを各投棄し所定の覆土を施す改良型衛生埋立工法であつて、本件施設より発生する汚水はゴムシートの外側に流出することなく汚水処理場で処理することができると認められるのみならず、仮りに、ゴムシートが破損し若干の汚水が上部帯水層に侵透する事態が考えられるとしても、不透水層の存在によつて下部帯水層に至ることを妨げられるものと認められるところ、申請人らの多くは本件予定地よりも高所にあたる南側に居住し、その給水源たる井戸も南側高所に所在し、かつ、前示不透水層以深の下部帯水層から揚水しているのであつて、その余の申請人もほぼ同様の事情にあるから、このような本件予定地の地形、地質構成、地下水の流動方向、揚水形態、本件施設の構造、工法等の諸事情に照らせば、申請人らの給水源たる地下水に汚染を来たす蓋然性はないものと考えられる。(二)その他の環境保全に関しても、右地下水汚染防止対策についてと同様に、他のごみ処理施設における経験を生かした改善策が講ぜられ、それによつて有害虫の発生、野犬の増加、臭気、有毒ガスの発生、粉じんの飛散等に対する十分な対処ができるものと考えられる。(三)被申請人は、現在稼働中の下田ごみ埋立場に続く次期埋立場の用地を、環境汚染の少ない場所、搬入路の利便、埋立の効率性が高いこと、一般廃棄物と産業廃棄物との分別埋立が容易であること等の基準で総合的に検討し、適地として本件予定地に決定したもので、既に満杯の下田埋立場に続くごみ埋立場として本件予定地を措いて他に適切な用地は差当り見当らない。(四)叙上の次第で、本件ごみ処理施設の設置によつて申請人らの物権又は人格権の行使が妨害される蓋然性の疎明はなく、又本件設置計画は公共性があり公害防止のための諸設備もなく設置されるもので客観的違法性はないものと認められるから、申請人らの物権又は人格権に基づく妨害排除ないし妨害予防の請求権は肯認できず(環境権に基づく妨害排除や防害予防請求を肯定する申請人らの主張は、未だその法的根拠及びその基礎となる「環境」の概念(各個人の権利の対象となる環境の範囲、環境を構成する内容の範囲とその地域的範囲など)が明らかでなく、これを採用できない。)、本件仮処分申請は被保全権利の疎明がないことに帰着する。原決定は、以上のような理由を骨子として本件仮処分申請を却下し、抗告人らからこれに対し抗告の申立がなされたものである。

よつて、以下に本件抗告の理由について順次判断する。

一抗告人らは、原裁判所は、本件を合議体で審理裁判する旨決定しておきながら、二名の受命裁判官をもつて審訊をなしたが、受命裁判官による審訊は違法というべきである旨主張する。

しかし記録によれば、本件仮処分申請事件についての原審における審尋は、最終の審尋期日が裁判所(合議体)によつて実施されたほか、その余の審尋期日が受命裁判官によつて実施されたことが明らかであるが、本件におけるような裁判所の裁量による審尋は、それが受命裁判官によつて実施されたからといつて、直ちに、これに基づく原決定が違法となるものではないというべきである。

二抗告人らは、「原決定が環境権に基づく妨害排除並びに妨害予防の請求を否定したのは違法である。環境権は憲法二五条、一三条の規定から当然に導き出される権利であつて、環境の侵害それ自体を違法とし、被害が各個人に現実化する以前において直ちに侵害の排除または予防の請求をなし得る権利である。」と主張する。

しかし憲法二五条、一三条の規定から直ちに抗告人らが主張するような内容の環境権なる権利を各個人が有するということは、原決定が理由中に説示するとおり、にわかに首肯しがたいところであつて、環境権に基づく妨害排除並びに妨害予防の請求を容れなかつた原決定に誤りはないものというべきである。

三抗告人らは次のように主張する。すなわち、昭和四七年六月六日政府において「国の行政機関は、その所掌する公共事業について、当該公共事業施主体に対し、あらかじめ、必要に応じ、その環境に及ぼす影響の内容及び程度、環境破壊の防止策、代替案の比較検討等を含む調査研究を行なわしめ、その結果を徴し、所要の措置をとらしめる等の指導を行なうものとする。地方公共団体においても、土地に準じて所要の措置が講ぜられるよう要請することとする。」との閣議了解がなされた。従つて相手方は本件ごみ処理計画について環境影響事前評価(環境アセスメント)を実施すべき義務があり、これは地方自治法二条三項一号の包摂する義務である(環境アセスメントの一般手続については疎甲六六号証参照)。しかるに相手方は、本件計画の決定に際し環境アセスメントの実施を全く怠つていたのであり、原裁判所の仲介により、不備ながらも環境アセスメントに着手し、地下水への影響調査の報告書を提出したものの、原裁判所は、右報告書に対する反論のため十分な時間的余裕を抗告人らに与えないまま、右報告書の内容を正しいものと鵜呑みにして原決定に及んだのであつて、このような原審の判断は法令に違反するものである。と

なるほど、政府において抗告人ら主張のような閣議了解がなされたことは、疎明資料により明らかであるが、本件ごみ処理施設の設置について、相手方が、抗告人ら主張のような環境アセスメントを実施すべき法令上の義務を負うものと認めるべき疎明はなく、地方自治法の規定から、直ちに、右義務の存在を肯定することもできない。しかるところ、相手方は、抗告人ら地域住民に対する説明会や自治会役員との協議会の開催など、関係住民への周知徹底とその協力を得るための努力を重ねる一方、原審における審尋の過程を通じて、本件ごみの埋立に伴う地下水に及ぼす諸影響につき、一層綿密な調査を実施して調査報告書を提出し、建設計画の内容につき種々改善を施し、更に、本件予定地の底部に遮水用ゴムシートを一面に張りつける旨の計画を附加することによつて、地下水汚染の完全なる予防を期するなど、いわゆる環境影響評価制度の趣旨に副う配慮を重ねてきたことが記録上認められるのであつて、もとより右調査報告書に依拠した原決定に法令の違背があるとは認められない。

四抗告人らは次のように主張する。すなわち、原決定は、相手方の行なう本件予定地の地盤改良の内容として、「本件予定地(くぼ地)……の底面については、腐植土による軟弱層(谷部中央において約1.5ないし3メートル、両端部分において約六〇センチメートル位)が存在するため、ごみ埋立による不等沈下を予防するため、右軟弱層部分の腐植土はこれを徹去して砂をこの部分に置き換え、……」と認定した。しかし相手方は、「本件予定地の腐植土層の厚さは谷部中央において一五〇センチメートル、両端において六〇センチメートルと推定し」、「腐植土層は原則として撤去し、発生土によつて置き換えるか又は腐植土層の水抜きを行うかのいずれかの方法を実施すべく計画している」と主張しているにすぎないのであり、相手方提出の疎明資料によつても腐植土層を六〇ないし一五〇センチメートルとして計画を立てていることが明らかである。従つて原決定には、相手方が主張していないことを証拠によらずに認定した違法がある。と

原審が、本件ごみ処理施設の概要につき、相手方の行なう本件予定地の地盤改良の内容として右のように認定していることは抗告人らの主張するとおりであるが、原審はこの事実を基礎として既存施設との比較考量を行うにあたり、他の重要な諸点をも併せ判断の対象としているのであつて、右主張の点について相手方の主張と異なる事実を認定したからといつて、直ちに原決定を違法視することはできず、原審の右認定は、本件全疎明資料に照らし是認し得るところであり、記録に徴しても、右認定の内容に即応した地盤改良を相手方が実施することは、十分に期待し得るところである。

五抗告人らは、「原審の審訊において、抗告人らが重要な問題点について求釈明を続けたのに対し、相手方は全くこれに応じようとしなかつたのであるから、このような状態のもとで、原裁判所が、抗告人らの本件仮処分申請を却下しようとするなら、須らく口頭弁論を開いて、相手方に対し裁判所独自の釈明権を最大限に行使したうえで、これをなすべきである。しかるに、原裁判所は、口頭弁論を開かず、また何ら釈明権を行使することなく、一方的に審訊を打切つて原決定に及んだもので、釈明権不行使の違法があるというべきである。」と主張する。

しかし、仮処分申請事件について、口頭弁論を開くか否かは裁判所の裁量に任されているのであるから、原審が、口頭弁論を経ないで原決定に及んだことも、何ら違法とするにあたらず、記録を検討しても、原決定に影響を及ぼすべき釈明義務の違反があるとは認められない。

六抗告人らの主張によれば、原決定には次の(一)ないし(三)の点において経験則違背の違法があるというのである。すなわち、

(一)  土木工事における経験則によれば、先例のない工事、工法を実施するには、不確定要素による危険性を考慮して、地盤等重要部分は、基本数値の三倍の安全性を見込んだ計画を立てるべきものとされている。しかるに本件におけるゴムシート敷設計画や汚水、雨水の排水計画等においては、三倍の安全率とは逆に、必要性の数分の一の安全性しか考えられていない。

(二)  本件予定地の地下にある粘土層について、原決定は、抗告人ら提出の鑑定意見書を無視し相手方提出の調査報告書を採用して、右粘土層が不透水層であるものと認定したが、右粘土層が難透水層であるとする抗告人ら提出の鑑定意見書の方こそ内容において科学的、合理的であつて、原決定がこれを無視したのは経験則に違背し採証法則を誤つたものである。

(三)  ゴムシートの接合部分の強度について、原決定が、抗告人ら提出の疎明資料を無視し、「接合部分の強度もゴムシート本体のそれとほぼ変わりない」旨認定したのは経験則、採証法則に違反している。と

しかしながら、本件ごみ処理施設におけるゴムシート敷設計画、汚水・雨水排水計画等の安全性、地下粘土層の不透水性、ゴムシートの接合部分の強度等に関する原審の認定は、本件疎明資料に照らしいずれも肯認し得るところであつて、右認定が、抗告人ら提出の疎明資料に副わない部分があるからといつて、直ちに、経験則、採証法則に違反するものということはできないばかりでなく、原審は右の諸点のほか、地下水流の動向、抗告人らの使用する飲料用取水井戸の位置等を併せ検討したうえ、ゴムシートの一部に破損を生じたとしても抗告人らの飲用に供する地下水に影響を及ぼす蓋然性が少いものと認定しているのであつて、原審の右結論は本件疎明資料に照し首肯し得るところであるから、抗告人らの右主張はいずれも、採用し難いところといわなければならない。

七抗告人らは、「原決定が、本件ごみ処理施設は、その構造、公害防止対策の点において、安全性が高いものである旨認定したこと、すなわち覆土、地盤改良、ゴムシートの強度、排水管、土堰堤、観測井、汚水処理施設、環境保全対策等の諸点について、いずれも難点はなく公害を予防するに十分なものである旨認定したことは、著しく事実を誤認したものである。」旨主張する。

しかし、抗告人ら指摘の諸点を含めて、本件ごみ処理施設が、その構造、公害防止対策等の点において、安全性の高いものであるとした原審の認定判断は、記録および疎明資料に照らしいずれも是認し得るところであり、当審で抗告人らが提出した疎明資料を併せ考慮しても、未だ右認定判断に誤りがあるとは認めがたい。

本件ごみ処理施設は、原決定が詳細に説示するように、その敷地を地盤改良したうえ遮水用ゴムシートで被覆し、汚水・雨水の排水管等を整備し、汚水処理場を附設するものであつて、その構造、工法、周辺の地質構成、地下水の流動形態等に照らし、抗告人らの飲用に供する地下水の汚染を来たす蓋然性はないものと推認され、その余の環境保全対策とも相まつて、本件ごみ処理施設の設置が抗告人らの人格権等に侵害を及ぼす蓋然性の疎明は十分でないものとした原審の認定判断に格別不合理な点は見出しがたいところである。

叙上の次第であるから、抗告人らの主張は、いずれも採用することができない。

よつて原決定は相当であつて、本件各抗告は理由がないからこれを棄却し、抗告費用を抗告人らに負担させることとし主文のとおり決定する。

(江尻美雄一 滝田薫 桜井敏雄)

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